アート世界展示会の作品のデザインにみるアートの現代的意味!

現代アートの機能を最大限に引き出す展示会!


アーティストには、芸術的視点を、ビジネスマンには、世の中にはないオリジナルのプロダクツを創造する視点を!

現代アートの機能としては鑑賞者に、独自の芸術的視点や独自のビジネス的視点をメタファー的に示唆する点にあるものと考えます。

記述的な言語の文化からは、論理的に導き出される過去の延長線上の芸術的視点やビジネス的視点しか、得られないことが、経験的に実証されてきつつあるからです。

このような機能を有する現代アートは、鑑賞者が、容易にアクセスできるスタイルで、アーカイブ化されていることが、条件となります。

油絵なら、ネット環境のない人でも、誰でも、絵が保管されている美術館などに、行けさえできれば、その絵画と作家名を容易に探し出すことができます。

さらに、美術館やギャラリーにされていなくとも、展示会で、そのアートを見ることで、芸術的視点やビジネス的アイデアが創発される機会をつくることができます。

このような意味で、アート展示会の存在意義を高く評価できます。

2022年最新の現代アートを!シカゴ国際現代美術展覧会の内容はこちら

現代アートとしての「ビデオ・アート」

ビデオ・アートの難点は、アーカイブ化することが、困難であるということです。

現代アートの機能として、鑑賞者に、芸術的視点やビジネス的視点をメタファー的に示唆するという点をあげるとすれば、絵画のようにアーカイブ化され、いつでもギャラリーのアクセスによって鑑賞することが、可能であることが前提条件になります。

このビデオ・アートに関しては、ビデオを閲覧できる環境にある鑑賞者にしか、アクセスができない点が問題であると、1970年代に指摘されていました。

2022年現在では、ネット環境により、ビデオアートへのアクセスは、誰でも容易になったといえます。ただし、高齢者や、小学生低学年の児童のように、一人では、ネットにアクセスすることに困難を生じる鑑賞者も依然として存在します。

芸術的視点は、高齢者であろうと、小学生低学年の児童であろうと、現代アートの作品から得られてしかるべきです。

シカゴアート博覧会に展示された静止画のキャンバスの中に、動画を埋め込んだ作品2019年展示

ところが、単体でビデオ・アートとなりうる映像をキャンバスの中に埋め込むアーティストが出てきました。

シカゴアート博覧会に展示された静止画のキャンバスの中に、動画を埋め込んだ作品2019年展示

ビデオアートには、人によっては、そのアクセスに制限があり、鑑賞者に芸術的視点をメタファー的に示唆するという現代アートの機能をその人には、十分に与えることができないという問題がありました。

しかし、静止画のキャンバスに、動画を組み込んだ、この作品は、ビデオ・アートをキャンバスという存在形式にてアーカイブ化したと評価できます。

このことは、キャンバスを展示できる空間であれば、美術館であれ、ギャラリーや展示会であれ、展示が可能となりました。

すると、小学生の低学年の児童であれ、高齢者であれ、美術館やギャラリー、展示会へ足を運ぶことさえできれば、その作品を鑑賞することができることを意味し、上記のビデオ・アートの問題点を見事に解決したといえます。

結果として、オブジェか絵画か?アーカイブ形式をあいまいにする。

意味がわからないおきもの 物体という意味では、このキャンバスに収まられた絵と動画は、オブジェです。

オブジェの機能は、所説あるも、見る人の創発的視点を閃かせる点にあると私は考えます。

オブジェそのものの意味ではなくとも、特徴がメタファー的な示唆を与えるものなのです。

ひとつの空間に、動画があり、絵画があり、その空間全体をオブジェとして、示したアーチストはいました。

しかし、その空間の中では、動画と絵画との間には、スペースによる境界が、明確に存在しているのであって、境界を曖昧にしたアートとは、次元が異なりました。

二次元の静止画の絵画の中で、どこまでが絵画で、どこまでが、動画か?

その境界が曖昧な状態で、抽象画をキャンバス描いたのは、最先端のモダン・アートかもしれないです。

それは、キャンバスであり、オブジェ=意味不明な物体でもあるのです。

あえていえば、静止画の中に、動画を組み込むことで、絵という2次元の中に3次元の非日常空間を創設したもので、抽象画の中ににバーチャルリアリティーのような、情報空間を創設したものともいえます。

水に浮かぶ寺院という非日常空間を150年前に、シカゴ万博で展示!

遡ること150年まえ、シカゴで行われた万国博覧会に当時の日本国政府は、鳳凰堂を日本国パビリオンの中に、建立しました。

水に浮かぶ極楽浄土の世界観を、特殊建築技術で建物というプロダクツを通じて、当時の海外の産業界に示し、以て日本の産業技術をアピールしました。

池と、建築物の境界を曖昧に見せる特殊建築技術で、蓮池の上に浮かぶ極楽浄土という情報空間を鑑賞する人の頭の中に、創設したのです。

鳳凰堂の建築様式は、水を手前に、床の高さを高く見せる立て方で、正面からみると、あたかも水に浮かんだお寺のように見えると、当時万博を訪れた世界の人々を感動させたものです。

本来と異なるものを代用して、ニーズに間に合わせる日本の固有の文化!

境界を曖昧にするという文化的視点は、古来日本の「間」にも見られる。

境界を曖昧にするという概念に似たものに、日本の「間」や「間に合わせる」という概念があります。

異なるものとの差つまり境界を超えて、本来の用法を別の用法に代用すること。
境界を曖昧にする文化といっても過言ではないです。

枯山水 砂を水の代わりに使用して、庭に川を引いたかの風情を与える。
砂は、固体であり、水は液体であるが、砂を板状のほうきで掃くことで、あたかも川の水の流れのような模様を醸し出すことができる。

水の流れを、庭に川をひかずに、あたかも、間に合わせたかのように、砂本来の用法を超えて、作り出すのは、他でもない日本の「間に合わせる」文化の特徴が現れているといえます。

シカゴ現代アート展示会作品 静止画のキャンバスに動画を組み込んだ作品のデザイン

どこまでが絵画で、どこまでが、動画か?その境界が曖昧な状態でを組み込むことで、この作品は、現代アートの最先端であると同時に、古来日本文化の間というDNAをそのデザインの中に共通性を垣間見ることができます。

静止画であるはずのキャンバスの中に、時間の推移という非静止次元を、動画を組み込むことで、あたかも間に合わせたかのように、うつろいゆく世界観を醸し出し、独特の情報空間を鑑賞する人の脳の中に創設しているからです。